東日本大震災、及び阪神淡路大震災
東日本大震災についてはこちらで更新中
(こちら ⇒ 「BCPJAPAN 東日本大震災 現地レポート」)
以下の文章は【阪神淡路大震災】での活動!
1995年自転車日本一周の途中、阪神淡路大震災で避難所(神戸生田中学)にて、避難所運営リーダーを翌々日より約3ヶ月間泊り込みで行い、2300名の避難者の信頼を得る。
In 1995 I was doing a tour of Japan by bicycle when the Kobe earthquake struck. I ended spending 3 months in Kobe after the disaster, directing and managing a shelter that had been set up at a junior high school and winning the trust of the 2300 temporary inhabitants. Here are some of the issues I faced.
- 配給を待つ途絶えることの無い行列
Making queues for supplies in which those waiting don’t get frustrated. - 前回の配給よりも行列が長くなる
Queues are longer than the previous supply hand out. - 途中で物資が無くなれば、争いにも発展しかねない
If supplies run out while handing them out fights might break out. - 中華街ならではの中国人などの外国人の問題
In China town there are many foreign residents and the problems that brings. - 全国からのボランティアの受け入れ
Accepting volunteers from all around Japan. - 寝たきりの人、生まれたばかりの赤ちゃん、色々なペットが体育館の中に同居
Bed ridden patients and new born babies, pets are also living in the same school gymnasium. - 「どうやって決めるのか」
How do you decide things? - 「誰が決断できるのか」
Who makes the final decision? - 「じっくり話し合う時間なんてない」
No time for proper group discussions. - 「次々と押し寄せてくる避難者」
The victims of the earthquake keep on arriving in droves. - 「不安は頂点に達する」
At this point I am extremely concerned. - 「誰に何をやってもらうか?」
Who should I delegate to do what? - 「自分は何をするのか」
What should I do?
最初の内は、廊下の隅で寝袋にまるまった。朝起きると、在庫数のチェックを徹底的に行い、行列の数を確認、避難者の時間帯別の人数把握、配給中のものが数が足りない場合の予備を考慮に入れ、適切に物資を並べる。
行列の並び方、配給カード・家族カードの考案など、避難通路の確保、余震対策。
無我夢中で目の前のことに取り組んだ。
神経が研ぎ澄まされ眠れないこともあった。
私は、いつの間にかリーダーになっていた。
服を沢山着込んで自分を大きく見せた。
班編成を構築、掃除当番、夜回り警備隊結成 数限りなくあらゆることを実施。
整理・整頓・清掃により、傷だらけでボロボロだけど整然とした避難所を構築。
避難者自ら、学校の周囲までも掃き掃除するようになる。
I was sleeping on the floor in a sleeping bag.
Every day first thing, I get up and check the remaining supplies. Next I count the number of people and calculate that there will be more people coming for supplies than are sleeping in the shelter, supplies must last for everyone who comes, so I conservatively allot the items per person.
The way of queueing, Supply cards,Family cards,also I prepare the escape route in case of secondary quakes.
I try to completely focus on the task in front of me.
I was thinking so much about how to do it best I could barely sleep.
Somehow the people in the centre chose me as the leader.
Implementing systems and mobilising people,cleaning roster,a night time security patrol,I did everything I possible could.
Through proper organsation, tidying and cleaning, although I was completely exhausted I managed to run a clean and functional shelter.
The inhabitants of the shelter decided to clean up the area around the shelter and school.
▽阪神淡路大震災の記録
(もっと見る場合はこちら ⇒ YouTube検索 「山口泰信」)
その後、地元、雲仙普賢岳、津波被害の奥尻島や新潟地震など数々の被災地を訪れる。
新潟県中越地震
2004年10月 バイクで新潟県小千谷市に向かった。
私が何をさせて頂いたかというと、立ち上がったばかりの小千谷市ボランティアセンターのリーダー(寺島さん) と話し合いを10時から12時くらいまでしました。
- 今後避難者の精神状態がどう変化するのか
- 物資はどのようなものが届くようになるのか
- 寝たきりの人をどうケアするのか
- 避難者を班(グループ)でわけて運営するやり方
- 家族カードの作り方
- 掃除当番や物資の積み降ろしや配給
- 重要書類の管理のしかた
- ボランティアを管理するボランティアのあり方
- 自治体との連携のやり方
- 避難者に自立をさせる為の方法
- ボランティアとして立ち上がった人を応援するやり方
- 避難所、仮設住宅の雪対策(一晩で1メートル積もるらしい)
- その他色々
私の神戸での経験をメモしてらっしゃいました。
私が支援品として持っていったのは、クリアーファイル3冊、ボランティアやヘルパーさんがスカーフを巻く為のオレンジの布(このオレンジの布を首に巻いた人はみんなのために働いているという勇気の印)
まずは1×10メートルもってゆき、使うかどうか話し合いました。
夜、会議でオレンジの布を使うことが決定しました。155メートルをメーカーに発注して、11月2日には届きます。
これから被災地でオレンジのスカーフを首や腕に巻いたスタッフ が活躍することでしょう。
小千谷市はほとんど家の中はぐちゃぐちゃでした。
いくらセンターで話し合っても、末端の小さな避難所には支援が行き届かないのも現実です。
マスコミの報道も大切ですが、現地の生の声に耳を傾けたいと思っております。
道路が寸断されており本当に自身のすごさを再認識しました。
11月1日は野菜ジュース(缶入り324本、ペットボトル約1リットル×120本)を小千谷市ボランティアセンターに送りました。
少ない量ですが、野菜ジュースの重要性を証明でき、避難されている方に好評ならば、その結果を、各支援自治体やグループ(国、県、市、町の災害対策本部)などに報告し毎日飲めるように働きかけるよう準備もしてきました。
いずれにしても山口個人の持ち出しで行っております。
なぜ野菜ジュースなのか?
私の阪神淡路大震災の経験からすると、まず絶対に便秘になり体調と精神状態が崩れてきます。
実は、長期で手伝うボランティアにも当てはまります。
- 理由1 大便を我慢する癖がついてしまう。
⇒ 仮説トイレなので行きにくい。やりにくい。安心できない。夜は暗い。 - 理由2 長期的に配給される弁当は一般的に揚げ物が多く野菜がとりにくい。
- 理由3 果物は、ナイフを使用しないといけなかったりするので食べにくい。
- 理由4 高齢者になると、歯の具合が悪く、思うように食事できない。
- 理由5 飲み物はなぜか、ミネラルウォーターとウーロン茶、お茶などが届くが野菜ジュースは少数しか届かない。
- 理由6 体内の栄養バランスが崩れ、避難所内での争い、ボランティア同士、ボランティアと避難者など、争いが多発するようになる。
⇒ ビタミン類が必要。 - 理由7 食物繊維飲料では、炭酸が多すぎて高齢者に不向き。
他にも理由はありますが、とにかく毎日一人一本摂れるのが理想だと思います。
メーカーにより味にかなりの差があり、個人の趣向もありますので、できれば製造メーカーは色々ある方が好ましいです。
その後、下の新聞のように協力して支援を行いました。
枚岡合金工具株式会社の古芝社長と協力会社のおかげて32万円集まり、野菜ジュース3336本と、オレンジ色の反物155メートルを持っていくことが出来ました。